こんにちは、ララです☆
雑誌「メンズノンノ」の出身で、
若い頃からイケメン俳優として活躍している、
風間トオル(かざまとおる)さん。
そんな風間トオルさんですが、
幼少期は壮絶な貧乏生活を送っていたのです。
風間トオルさんはなぜ、
貧乏な生活を送らなければならなかったのでしょうか。
今回の記事では、
風間トオルさんの、
幼少期の貧乏エピソードと、
風間トオルさんにそのような生活を強いることになった、
両親(父母)はどのような人物なのか、
調べてみました。
さっそく見てみましょう。
風間トオルさんはなぜ貧乏だった?
風間トオルさんは幼少期、
貧乏生活を送っていました。
その理由と、壮絶な生い立ちを見てみましょう。
5歳の時に両親が離婚
風間トオルさんが5歳の時に、
両親は離婚しています。
離婚の原因は、
母親が別の男性と恋に落ち、
家を出ていってしまったからだったのです。
風間トオルさんは、
父親と祖父母の4人で生活することになりましたが、
のちに父親も家を出ていってしまい、
年金暮らしの祖父母と3人暮らしだったそうです。
認知症の祖父を介護
風間トオルさんが小学校の時、
祖父は認知症で要介護状態でした。
祖母はそんな祖父を見放していて、
祖父の介護は風間トオルさんが1人でしていたそうです。
今、社会問題となっている、
「ヤングケアラー」だったのですね。
父と母はいないため、働き手がなく、
貧乏暮らしを強いられてしまったのです。
風間トオルさんの貧乏エピソード
風間トオルさんが幼少期に経験した、
驚きの貧乏エピソードを見てみましょう。
「多摩川の土手に生えている野草を食べていた、カマキリも食べた」
アサガオは紫が一番おいしい
多摩川の水はTシャツに漉(こ)して飲
「炎天下の石ころはおいしい」
「虫歯をペンチで抜いた」
「車にはねられてもお金がないのでそのまま帰宅した」
「体操服が買えず、普通のTシャツの襟にマジックで色を塗って代用」
「お風呂も銭湯に行くお金もなかったので、服を着たまま洗濯機に入った」
「高校生の時はバイトに明け暮れ、睡眠時間は2時間」
エピソードの内容は、
「えーー!」っと驚くようなものばかりですが、
風間トオルさんは、
幼少期の貧乏エピソードを話す時、
とてもニコニコと懐かしそうに話すのです。
当時はきっとつらかったはずなのに、
こんな風に話せるようになったのは、
風間トオルさんが自分の力で乗り越えたということではないでしょうか。
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風間トオルさんの両親(父母)はどんな人?
子供が親に一番甘えたい時期に、
息子を置いて出て行ってしまった、
風間トオルさんの両親(父母)は、
どんな人物だったのでしょうか。
父は息子にお金を無心
風間トオルさんの母親が家を出た後、
ほどなくして父親も家を出て行っています。
そんな父親は、
風間トオルさんが俳優業で活躍するようになると、
楽屋を訪れ、
「生活費をくれ」
と、お金をせがむようになったそうです。
そんな父親に対して風間トオルさんは、
突き放すことも恨むこともせず、
「俺を産んでくれた人だから、最期まで面倒はみる」
と言っているのです。
風間トオルさんが壮絶な幼少期を過ごさなければならなかったのは、
ほかならぬ両親の責任なのに、
こんなに優しい言葉をかけられる風間トオルさんは、
本当に素敵な人ですよね。
母親は育児放棄
上述したとおり、
風間トオルさんの母親は、
風間トオルさんが5歳の時に、
別の男性と恋に落ち、
家を出て行ってしまいました。
風間トオルさんが祖父の介護をしていた時、
母親を訪ねたそうですが、
同居を拒否されて、
助けてくれなかったようですね。
この時の風間トオルさんの気持ちを考えると、
胸が苦しくなります。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
誰もが認めるイケメンで、
若い頃からモデルや俳優として活躍している、
風間トオルさんですが、
壮絶な幼少期を過ごしていたのですね。
現在は、
「今もお金がなくても辛抱できるし、少々のことでは動じない」
と話していて、
過去の経験がメンタルを強くしたようです。
普通なら道を外れてもおかしくない状況ですが、
子供の頃のこともポジティブにとらえていて、
強さも持ち備えながら、優しさに溢れている風間トオルさん。
芸能界で長く活躍できるのは、
風間トオルさんの人柄がなせる業なのではないでしょうか。
これからも応援したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました☆
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