こんにちは、ララです☆
三重県志摩市にある「志摩市民病院」
こちらの病院の院長が江角悠太医師。
かつての志摩市民病院は、
7億円の赤字を抱える「お荷物病院」だったといいます。
江角悠太医師は、
子供の頃から父に言われていたある言葉を胸に、
病院を立て直します。
江角悠太医師が父から言われた言葉とは、
どのような言葉だったのでしょうか。
そして、
志摩市民病院を、
患者さんや職員からも信頼される、
評判の良い病院に変えた、
江角悠太医師のアイデアとはどのようなものだったのでしょうか。
江角悠太医師が父に言われた言葉とは?
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出典:https://president.jp/
江角悠太医師は、
エリート医師の父と、
研究者の母という共働きの家に生まれました。
不在がちの両親に代わり、
7つ年下の弟の世話をする生活に不満を持っていたそうです。
友達とケンカしたり、
問題を起こして、
親が学校に呼び出されることもあったとか。
そのたびに、
父からかけられた言葉は、
「自分の力は、自分勝手をするためではなく、世の中のために使いなさい」
「人生を人のために使いなさい」
という言葉だったそうです。
このような少年時代を過ごした江角少年は、
やがて、
東日本大震災のボランティアに参加し、
この経験を通し、
地域医療に身をささげることを決心するようになるのです。
本当に素晴らしいことですよね。
「ダメ病院」を再建した江角悠太医師のアイデアとは?
三重県志摩市にある「志摩市民病院」は年間7億円の赤字を出す、
いわゆる「お荷物病院」でした。
2015年の秋に、
志摩市民病院は“診療所”への規模縮小が検討され、
見切りをつけた医師3人が一斉に退職します。
江角悠太医師は心の葛藤と戦いながらも、
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「病院をなくしてはいけない」
![](https://chill-time22.com/wp-content/themes/cocoon-master/images/doctor.png)
「志摩市の医療が崩壊する」
と考え、
知り合いの医師4人をなんとか確保したのです。
病院のモットーは「どんな患者も断らない」
![](https://chill-time22.com/wp-content/uploads/2021/10/志摩市民病院-300x138.png)
出典:https://shimacityhospital.jp/
もともと志摩市民病院は、
救急要請があっても、
専門外だと言って断ってばかりいました。
結果、地域住民から信頼されず、赤字が膨らんでいたのです。
江角悠太医師は、
自身が院長になった時、
「絶対に断らない」をモットーに、
とにかく断らずに、
自分に回してくれと言い、
それをやり続けたことで、
患者さんが来てくれるようになったそうです。
これは本当に素晴らしい発想ですよね。
地域住民の方も、
「必ず診てくれる」という安心感は、
絶大なる信頼感につながりますものね。
勤務体系の見直し
患者さんが増えると当然、
医師や看護師に過重な負担がかかってしまいます。
志摩市民病院の4人の医師は、
全員が総合診療医で、
すべての医師が、すべての患者を診ることができるのだそうです。
こうしたことで、
一人の医師に負担が集中することはないそうです。
どんなに素晴らしい仕事をしても、
医師が過労で体を壊しては、
元も子もないですものね。
江角悠太医師が取り入れた、
フレキシブルな勤務体系は、
医師にとっても、
患者さんにとっても、
とても良いアイデアでした。
江角悠太医師と志摩市民病院の評判は?
江角悠太医師と志摩市民病院に対する、
地元住民の声を見てみましょう。
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院長が江角医師になって、透析が受けられるようになって助かっている
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療養病床の削減がなくなった
![](https://chill-time22.com/wp-content/themes/cocoon-master/images/man.png)
在宅医療にも力を入れてくれて嬉しい
病気やけがをした患者さんからすると、
いつでも診てくれる病院がある、
というのは、
大きな安心感ですよね。
地元住民の方からすると、
大げさでもなんでもなく、
江角悠太医師は神様のような存在なのではないでしょうか。
医学部研修生が助っ人となり「夜間救急」が復活
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出典:https://president.jp/
江角悠太医師が34歳で院長に就任した当初、
人手不足で夜間救急が実施できなくなっていたそうです。
医学部生たちは、
なんと自発的に「夜間救急サポートチーム」を立ち上げ、
受付や介助をしたそうです。
まだ医師になっていない医学部生たちにも、
医療行為以外にできることがあって、
それを誰に強制されたわけでもなくできるというのは、
本当にすばらしいことだと感じます。
まとめ
![](https://chill-time22.com/wp-content/uploads/2021/10/江角まとめ-300x198.png)
出典:https://coffeedoctors.jp/doctors
いかがでしたでしょうか。
今回の記事では、
三重県志摩市にある、
志摩市民病院の院長である、
江角悠太医師について調べてみました。
◆志摩市民病院は赤字7億円のお荷物病院だった
◆江角悠太院長が病院の危機を救った
◆父の「人生を人のために使いなさい」の言葉が礎
◆病院のモットーは「どんな患者も断らない」
◆現在は患者さんや職員からも評判の良い病院に再建
◆医学生が助っ人となり夜間救急が復活
江角悠太医師は、
患者さんが「助けてください」と求めてきた時に、
「専門外だから」と決して断らないといいます。
高齢者、さらには過疎地というのは、
孤独と隣り合わせです。
そんな状況で、
江角悠太医師のような先生がいらっしゃるというのは、
大きな安心感につながりますね。
医師というお仕事は、
本当に大変なお仕事です。
ぜひこれからも健康には気を付けて、
地元の住民の方の心と体のよりどころでいて欲しいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました☆
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