こんにちは、ララです☆
フジテレビの元アナウンサー、
菊間千乃(きくまゆきの)さん。
1995年4月にフジテレビに入社し、
「笑っていいとも!」のテレフォンアナウンサーに抜擢されて、
一躍人気となりました。
今回の記事では、
菊間千乃さんのアナウンサー時代の若い頃の画像を見ていくとともに、
アナウンサーを辞めて弁護士になったきっかけや、
変わらずきれいな現在の画像も見ていきたいと思います。
菊間千乃さんのアナウンサー時代のカワイイ画像
菊間千乃さんは、
早稲田大学法学部卒業後、
フジテレビに入社しました。
内定は、
フジテレビのほかに、
TBSからも出ていたそうですよ。
大人気企業2社から内定をもらえるほど、
優秀で魅力的な菊間千乃さん。
そんな菊間千乃さんの若い頃の画像を見ていきましょう。
アナウンサー時代の画像
ショートヘアがとても似合っていますよね。
眉が時代を思い起こさせます。
はつらつとした笑顔が、
菊間千乃さんのトレードマークですね。
菊間千乃さんは、
まさに「朝の顔」といった感じでしたね。
菊間千乃さんは事故をきっかけにアナウンサーを辞め弁護士に
菊間千乃さんがアナウンサーから弁護士になるまでを、
振り返ってみましょう。
菊間千乃さんは番組の企画で事故に
菊間千乃さんは、
1998年9月、
自身がリポーターを務める「めざましテレビ」内のコーナーで、
災害時に高所から脱出するレポート中に、
腰椎圧迫骨折で全治3か月の重傷を負いました。
翌年には現場復帰しましたが、
リハビリは1年に及んだそうです。
地上13mからの転落で、
重傷を負ったのは大変なことでした。
打ちどころが悪ければ、
もしかすると命の危険もあったのではないでしょうか。
事故に遭い、
リハビリ中に見たのは、
自分がいたはずの場所に、
何もなかったように座る、
自分ではない、別のアナウンサー。
いろいろと考えることがあったのではないでしょうか。
弁護士になったきっかけは「報道の最前線に立ちたい」気持ち
アナウンサーは、
40~50歳あたりで管理職になり、
最前線に登場しなくなるというのが一般的なキャリア。
菊間千乃さんは、
アナウンサーとして最前線に立ち続けたいと考え、
「法律の知識があれば、専門家としての役割が加わる」
「そうすると、アナウンサーの定年が引き延ばされるのでは」
と考え、
仕事と並行してロースクールに通い始めました。
この時は、
“法律の仕事はアナウンサーを続けるため”
という考えだったようです。
そのうち、仕事と勉強の両方が中途半端になってしまったことと、
法律の勉強が想像以上に楽しかったことから、
アナウンサーを辞めることを決意したそうです。
そして、
司法試験にチャレンジし、
そしてとうとう弁護士になったのです。
人生、どう転がるかなんて分からないものですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
フジテレビのアナウンサーとして人気を博した、
菊間千乃さん。
番組の企画で重傷を負うという体験をされましたが、
現在は弁護士に転身されて、
公私ともに充実した日々を送っていらっしゃるようですね。
◆フジテレビの人気アナウンサーとして活躍
◆番組の企画で事故に遭い1年間のリハビリを経験
◆仕事と並行してロースクールに通う
◆仕事を辞め、法律の勉強一本に
◆アナウンサーから弁護士に転身
弁護士となった菊間千乃さんをテレビで見かける機会は減ってしまいましたが、
10月5日に放送される「徹子の部屋」に出演されますので、
ご覧になってはいかがでしょうか。
アナウンサー時代から変わらない笑顔は、
今も健在。
菊間千乃さんの明るい笑顔と、
前向きなお話は、
周りの人を元気にするパワーに溢れていますね。
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