こんにちは、ララです☆
2022年11月2日放送の「何だコレミステリー」で、
遭難した船が引き寄せられる、
恐怖の無人島「鳥島(とりしま)」がとりあげられます。
何人もの人が漂着し、
過酷な無人島生活を送ったという「鳥島」は、
どこに存在しているのでしょうか。
無人島である鳥島でどのようにして生き延びたのか、
また生還後はどうなったのかも気になりますね。
さっそく見てみましょう。
鳥島ってどんな島?どこにある?

出典:海上保安庁
鳥島は、東京の伊豆諸島にある無人島です。
鳥島は、東京から南へ約600kmのところにあります。
野村長平(のむらちょうへい)さんという人物は、
船で御蔵米を運搬した帰路に、土佐沖で嵐に遭遇し、
舵・帆柱を失って漂流船となり、12日後に鳥島に漂着したのですね。
野村長平さんの船にはほかに3人が乗っていて、
その3年後には大阪から11人、
さらにその2年後には鹿児島から6人と、
次々と船が漂着したのです。
12年間どうやって生き延びた?

出典:写真AC
野村長平さんは12年もの間、
火も水もない鳥島でどのようにして生き延びたのでしょうか。
◆アホウドリがいない時期は、乾燥させて保存していたものを食べた
◆水は雨水を水源とし、アホウドリの卵殻などに蓄えた
◆釣りの道具を自作し、魚やウミガメを食べていた
◆アホウドリの羽根と木の皮を縫い合わせて敷物や衣服を作った
特別天然記念物に指定されているアホウドリの繁殖地になっていた鳥島。
アホウドリは簡単に捕獲できたので、
それを食料にしていた野村長平さん。
それだけではなく、魚介類を含むバランスの良い食事を心がけていたことや、
月の満ち欠けをもとに年月を把握し、
規律正しい生活を送ることで、精神の崩壊を逃れたのです。
1785年1月30日に鳥島に漂着した野村長平さん。
約12年後の1797年6月8日、流木で造った船で脱出することに成功したのです。
生還後はどうなった?
無人島生活から約12年ぶりに生還した野村長平さんは、
その後各地で、漂流の体験談を語り金品を得て生活しました。
結婚もして子供にも恵まれたそうですよ。
そして、60歳という年齢で生涯の幕を閉じました。
現在の鳥島はどうなっている?

出典:海上保安庁
明治以降の鳥島には、
一攫千金を狙った開拓者たちがやって来ました。
高値で取引されていた羽毛を手に入れるため、
大量のアホウドリを捕獲していたのです。
その後、大規模な噴火が起こり、125名の住民が全員なくなりました。
これは「アホウドリのたたり」とも呼ばれたそうですよ。
現在の鳥島は、アホウドリの天然保護地域に指定されており、
一般人の上陸は禁止されています。
一時期は絶滅状態となったアホウドリの生息数も少しずつ回復しており、
調査や繁殖に関する活動が地道に行われています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回の記事では、
漂流した船がたどり着く無人島「鳥島」について調べてみました。
12年以上にわたるサバイバル生活。
思考を凝らしながら食料や水を得て、
月の満ち欠けで時期を判断し、
結果をして生き残ることができたのは驚きですね。
野村長平さんたちがどのようにして生き延びたかを知ると、
何でも手に入る生活の素晴らしさを実感しますし、
考えさせられる話ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました☆
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