こんにちは、ララです。
1982年に同僚のホステスを手にかけ、
14年11カ月もの間逃亡を続けた、
逃亡者の福田和子。
間もなく40年という月日が経とうとしていますが、
今までに何度もドラマ化されています。
それほど、
衝撃が大きく、
人々の記憶には色濃く残る事件でした。
今回の記事は、
福田和子の幼少期の悲惨な生い立ちについての話です。
福田和子の生い立ち
福田和子が産まれてから幼少期まで、
どのような生活をしていたのか、
調べてみました。
福田和子|0歳~1歳
福田和子は、
1948年1月2日に、
愛媛県松山市で生まれました。
福田和子がまだ赤ちゃんの頃、
両親は離婚。
福田和子は母に引き取られました。
母は、
愛媛県川之江市の実家の納屋を改築し、
売春宿を経営していました。
福田和子|幼稚園児
福田和子の母は、
祖父母に福田和子を預け、故郷を出て行ってしまったのです。
福田和子|小学2年生
福田和子の母は漁師の男性と再婚しました。
祖父母の反対を押し切り、
再婚先の「来島」に福田和子を連れていきました。
福田和子|小学4年生
島の排他的な雰囲気になじめず、引越。
福田和子の母は、昼は内職、夜は飲み屋勤めをしていて、
母が夜仕事に行くと、
義父は見知らぬ女を家に連れ込んでいたそうです。
夜中に福田和子が目を覚ますと、
真っ赤な口をした女が、
「あんたぁ、子供が起きたよぉ」と義父に言うと、
義父は「こらぁー寝とらんかぁ」と思い切り殴られたそうです。
翌日、
母に殴られた理由聞くと、
母と義父は取っ組み合いのけんかが始め、
「このごく潰しが!出ていけ!」
と外に放り出されたそうです。
福田和子|小学6年生
福田和子は、
小学6年生の終わりに、
漁師町の小学校に転校しました。
住居は地方公務員宅の2階に間借りをしていました。
この頃には義父はいなかったそうです。
夜、母が仕事に出かけると、
階下から、母の恋人である浴衣姿のおじさんが上がってきて、
袂からお菓子を取り出し、
あぐらの上に福田和子を抱き上げ、頬ずりをしたそうです。
そういったことが続いた3度目、
福田和子はおじさんの前で裸になっていました。
その翌日からは押し入れに隠れましたが、
トイレを我慢できずに見つかってしまいます。
おじさんに、
「いい子だね。お母さんには言わないでね」
「その代わり、おじさんが人形を買ってあげよう」
と言われ、
当時流行っていた「ミルクのみ人形」が欲しくて、
もらった3千円を握りしめ、
おじさんの手を我慢したそうです。
小学6年生にして、
福田和子は、
「女の体はお金になる」
ということを学ぶのです。
「松山ホステス殺人事件」とは
知らない人は少ないかもしれませんが、
なんせ40年近く前の事件ですので、
「松山ホステス殺人事件」の内容を簡単に記しておきたいと思います。
◆被害者は、当時31歳のホステス
◆犯人は、元同僚の福田和子
◆犯行後、福田和子と夫は被害者の家財道具一式を運び去り逃走
◆被害者の遺体を、夫に手伝わせて松山市内の山中に遺棄
◆福田和子は整形手術で顔を変え、14年11カ月逃亡生活を続けた
◆時効の21日前の1997年7月29日に逮捕
◆2003年11月に無期懲役が確定
刑が確定した1年4カ月後の2005年3月、
福田和子は「脳梗塞」で57歳のとき死去しています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
歴史に残る「松山ホステス殺人事件」
今回の記事では、
福田和子の悲しすぎる生い立ちについて、
調べてみました。
◆幼い頃に両親は離婚
◆引き取られた母の実家は売春宿
◆小学2年生のとき義父から虐待される
◆小学6年生のとき母の恋人に性的虐待をされる
「殺人」という罪は決して許されることはありません。
それはひとまず置いておいて、
一人の女性として、人間として、
福田和子の生い立ちのあまりの悲惨さに、
同情というか、何とも言えず悲しい気持ちになります。
ほかの記事でも、
「松山ホステス殺人事件」をさらに深掘りしています。
コメント
福田和子が18歳で強盗して逮捕されたとき刑務所内でレイプ被害にあってると知った時は本当に驚いたし怖かった。
出典分からないけどさらに義父からの性的虐待もあったなら酷すぎる。刑務所内レイプ魔虐待義父は罪に問われてない。加害者の大半が男で被害者は女だからか性犯罪はほとんど握りつぶされる。
女性の受刑者、AVや風俗の仕事する女性は性犯罪被害者が多いとか。性犯罪がどれだけ人生狂わすか。殺人の動機が不明だけど悲惨な環境でおかしくなったんだね。